2021年3月15日、淡路市役所のまちづくり政策課で働く宇城さんにインタビューを行いました。
「変化を楽しみ、自分なりのポジションを見出せる力がこれからのカギ」
高校生の時から憧れていた旅行会社への就職が叶った宇城さんの原点は、中学時代の国際交流。市役所に転職した今でも活きている過去の経験や大阪で働いていた時との違いとは!?
(写真は宇城さん)
内容項目
淡路島について
とにかくお米がおいしいです。お米に限らず食べ物がおいしいです。それが魅力です。
子育て環境としては素晴らしいところだと思います。私の小学生の子どもは習い事でサッカーとライフセービングをしています。習い事でライフセービングができるのは周りを海で囲まれた淡路島ならではじゃないですかね。
また休日に実家の山を自分で切り開き、プライベートキャンプ場を作りました。ピザ窯、ウッドデッキ、バーカウンターがある立派なキャンプ場です。こんなことができるのも淡路島ならではじゃないですかね。
淡路市役所について
雰囲気はアットホームな職場だと思います。
市役所ではずっと同じ業務を担当することはほぼないです。市役所内の部署内異動の場合もありますし、関係機関へ出向することもあります。
そのため、毎年同じメンバーで働くことはほぼないです。環境の変化に対応していくことが必要ですし、その変化をを楽しむことができるかはその人次第だと思います。
市役所で働くことに向いている人は、どんな仕事にも前向きに取り組むことができる人だと思います。経験がない仕事を担当した時は誰でも最初は戸惑います。慣れてきた頃に新しい部署へ異動し、また一から仕事を覚えるところからのスタートになります。私自身もそうでしたが、その度に同期や上司に助けられ、乗り越えることができました。職場の人間関係には本当に恵まれてきたなと思います。
(写真左から森、初島、宇城さん)
宇城さんご自身について
高校生時代について
県立津名高校に通っていました。部活は陸上部に所属していて、長距離をしていました。部活一本な高校生活でした。
陸上部の練習は週6日ありました。長距離だったので、2日以上休んでしまったら体力が落ちてしまい、今までの調整が無駄になってしまうので、絶対に風邪は引けなかったですし、炭酸飲料を飲むのを控えるなど、気の抜けない張り詰めた生活を送っていました。高3の11月まで駅伝に出場するために続けました。
高校生の時の夢は、旅行会社に入ってツアーコンダクターになることでした。世界のいろんなところに行ってみたかったからです。ツアーコンダクターという仕事を知ったのは、中学3年生の時に旧一ノ宮町の国際交流の一環で1週間オーストラリアのパースにホームステイできる制度があり、それに参加し、その時の添乗員さんの話を聞き、世界中の街を訪れてみたいと思いました。
大学生時代について
大阪にある大学に進学しました。大学の近くに下宿していたので、友達のたまり場になり、朝までサッカーゲームをしたり、友達と語り明かしたりしました。
カラオケ店でバイトをしていたので、勤務終わりにそのまま友達とカラオケオールをすることも多々ありました。
スノーボードが好きだったので、冬休み期間には1ヵ月間住み込みでリゾートバイトに行きました。そのときに出会った人にカナダにある世界一のゲレンデといわれるウィスラーの存在を教えてもらい、人生で一回は滑ってみたいなと思いました。
大学3年時に、旅行会社に就職するためには、他の学生より勝る経験を積む必要があると思い、1年間大学を休学し、カナダ ウィスラー近郊にあるバンクーバーにワーキングホリデーに行きました。
カナダに行って現地の旅行会社にガイドの見習いとして雇ってもらうことができ、実際に空港での案内業務をさせてもらいました。休みの日は様々な近郊の街を訪れ、シアトルに行ってイチローが出場しているメジャーの試合を見に行ったり、1ヵ月間バックパッカーとしてアメリカ大陸を横断しました。
旅行会社でのガイドのバイトは今でも活きていることがあります。もともと人前で話すことが得意ではなく、初めてお客さんの前でガイドをしたときに、「大手旅行代理店のスタッフとは思えない」とクレームをいただいたことがありました。かなりショックを受け、この経験から人前で話す際にはしっかりと事前準備をする習慣がつき、今の仕事にもすごく役に立っています。
大学卒業後について
長年の夢であった旅行会社に就職することができました。私は法人営業を担当しました。
法人営業は自ら旅行のプランを作成し、営業し、企画が通れば、お客様と一緒に添乗も行くという仕事で、お客様との信頼関係が構築されれば、毎年その仕事が自分に入ってくるので、とてもやりがいのある仕事でした。
淡路島に帰ってくることを考えたタイミングについて
私は長男なのでいつかは淡路に帰った方がいいのかなというのはなんとなく常に考えていました。
特に2008年はそれを考えた年でした。というのも、この年はリーマンショックが起こり、世の中は旅行に行くという空気でなくなり、旅行業界にとって厳しい年となりました。旅行業界というのは平和な世の中でこそ成り立つ業界であるということを改めて認識しました。
そんな時に、たまたま市役所の職員募集の情報を親から聞き、採用試験を受けてみることになりました。採用試験の結果、淡路市役所で働くことを決めました。
(写真左から森、初島、宇城さん)
淡路市役所で働くことについて
現在のまちづくり政策課に配属されるまでについて
最初は観光政策課へ配属されました。しかし配属されて間もなく、平成23年に大きな災害が発生し、淡路市内で膨大な量の復旧作業が必要となり、私を含め同期は全員災害復旧のための部署へ異動となりました。残業する日々が続き、しんどさはありましたが、人間関係には恵まれ、みんなでその困難を乗り越えることができました。
その後、2015年に淡路島で開催された「花みどりフェア」の運営事務局に出向になりました。そこでは、イベント行催事の運営に係る業務を行いました。民間の方と関わる機会が多かったのでいい経験になりました。
花みどりフェア終了後は、教育委員会に配属されました。教育委員会では児童・生徒一人一台のタブレット端末を整備しICT教育を推進するのが私のミッションで、当時は全国的にはまだ事例がなく、学校現場との調整など困難なことばかりでした。ですが、ICT教育の環境整備率と教員の指導力で評価される公立学校全国情報化ランキングで淡路市の小学校が全国2位、中学が校同5位の高評価を受けることができました。
まちづくり政策課について
教育委員会の次の配属が今のまちづくり政策課でした。まちづくり政策課での業務は、地域おこし協力隊、大学連携、移住推進、マイナンバー普及推進、スマートインターチェンジの整備など、多岐にわたります。仕事内容も毎回変化するので、スピード感と臨機応変な対応を求められることが多いです。
働くうえで大切にしている思い
市役所での仕事は人とのつながりがすごく大切だと思います。やはり信頼関係が出来ている出来ていないで、仕事の進み具合が大きく異なります。
特に今のまちづくり政策課は単独で行う業務より他の部署と連携し行う業務が多く、人との関係構築を大切にしています。
やりがいについて
異動の多い職場環境になりますが、様々な仕事や経験ができるのが魅力ではないかと思います。
私自身も来年全く違う仕事をしている可能性もありますし、自分が配属された先での変化を楽しみ、自分なりのポジションをどう見出せるかということに面白さを感じています。
大阪で働いていた時との違いについて
大阪で働いていた時は、会社の寮から阪急で梅田に向かい、地下鉄御堂筋線に乗り換えて職場へ向かうという通勤だったのですが、満員電車に乗るのが嫌すぎて、毎日始発にのって満員電車を避けるようにしていました。やはり淡路島で育ったので、満員電車は苦痛でした。
その点、淡路島は車移動なので、電車に乗ることが嫌いな私からすると、淡路島に帰ってきてからの通勤はとても楽になりました。たしかに大阪の方が便利なことは多いですが、電車に乗らなくていいというのは何物にも代えがたいメリットです。
また大阪と淡路島では時間の流れ方が違うと思います。これも電車と車の違いですが、大阪は電車が主な交通手段なので、電車の時間に合わせて行動しなければいけません。淡路島では、車で移動するので自分のペースで行動できます。
休日について
休みの日は基本子供たちとサッカーをしたり、キャンプをしに出掛けたりしています。
将来について
どこの自治体でも人口減少は避けられないと思います。淡路市もそうで、私が市役所を退職するまでには淡路島1市ということも想定しつつ仕事をしていく必要があります。
いま淡路市は、コロナ禍において働き方や暮らし方が見直されたことにより、移住希望者が増え、大きな転機を迎えています。市職員として、このチャンスをどう活かしていくかを考えなければなりません。
また個人としては、このままやりがいを持ち続けて仕事をしつつ、プライベートでは自分や家族との時間を大切にし、好きなことに取り組むことができればと思います。
これから社会に出ていく高校生の皆さんへ
予測が困難なこれからの社会において、自分が思い描いていた未来と違う、又は状況が変化し、対応が求められ、壁にぶつかってしまうということが今後多々あると思います。
そういった時代の流れや変化に常にアンテナを向け、興味を持ち、前向きに捉えることで柔軟に対応できる社会人になってほしいと思います。そして、これからの学生生活や社会人生活の中で熱心に取り組める何かを見出してほしいと思います。
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