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淡路ハイウェイオアシス 岩鼻さん (30代男性)

更新日:2021年7月19日

2021年3月8日、淡路ハイウェイオアシスで課長兼店長として働く岩鼻さんにインタビューを行いました。


「自分が輝くことで、周りと磨き合いたい」


 まだ橋も無く、都会への劣等感を持っていた学生だった岩鼻さんが、淡路島の魅力に気付いたきっかけとは?! 課長兼店長になるまでの道のりと今の想いを聞いてきました。


(写真は岩鼻さん)


内容項目


淡路島について

 淡路島は、日本全国どこを見ても類を見ない都市に近い究極のリゾート島であると思います。神戸や大阪から車で1時間走らせると、誰もいない青い海にいけるリゾート地です。都市と自然が共存しているようなエリアです。

 

 淡路島で生活していると、車に釣り竿を乗せておけば簡単に釣りができます。仕事に行く前に釣りができたり、仕事帰りに魚食べたいなと思ったら帰り道に釣って家で食べられる。魚が新鮮でおいしいですし、他にもおいしい食材がたくさんあって、とにかくご飯がおいしいです。

 

 また先ほど述べた通り関西から近いので、自立した生活を求める関西生まれの若者が淡路島での生活を始めるのは、何かあったら車で帰れる距離なのでぴったりなのではないかと思います。



淡路ハイウェイオアシスについて

 淡路ハイウェイオアシスは、お客様がワクワクしながら来る施設です。そのような気持ちを持ったお客様と接することができる職場環境はこちらも楽しくなりますし、すばらしい環境で仕事ができるところだと思います。


 仕事内容は、様々なことができます。物産の仕事や飲食の仕事をしたりと。365日どの日を取っても同じパターンの日がないです。

 

 なにより淡路島のことがより好きになる環境であると私は思います。淡路島のすごいところを知り、誇りを持てるようになるんです。


(写真は左から淡路タマ子さん、岩鼻さん)


岩鼻さんご自身について

高校生時代について


 県立洲本実業高校に通っていました。私は山田という淡路島の中でも田舎出身で、淡路島の中では栄えている洲本の学校に行くことが憧れでした。


 部活動は小学校のころからサッカーをしていたのでサッカー部に所属していて、キャプテンを務めていました。サッカー部では、当時つらいと思うことが多かったです。顧問の先生がすごい怖い方で、試合のハーフタイムに10本ダッシュさせられたり、練習中に水が飲めなかったのでわざとシュートを外して裏山に仕込んである水を飲みに行ったりといったことがありました。しかし大人になった今、そのことを振り返ると本当にいい思い出であり、サッカー部の仲間との飲み会で鉄板ネタになってます。


 ただ少し後悔していることがあり、それはもっとサッカーを真面目にすればよかったということです。というのも、洲本に来てから人やモノなど新しいことが多く、いろんな誘惑がありました。そのため、色々なことに興味が湧いてしまって、様々なことが中途半端になり、一つのことに打ち込むことができなかったです。


 また昔から活発な性格で、人前で何かするといった目立つことが好きだったし、得意でした。文化祭などでリーダー的な役割をたくさんしてました。知らない人でもすぐに打ち解けられる性格だったので、他校の友達も多かったです。友達といろんなことして遊んだことは楽しかったです。今でも仲が良く、ネットワークになっていて、仕事や生活で困ったことがあったら助けてくれます。



淡路島のことが嫌いだった学生時代


 田舎の子ならではの都会への憧れがあり、劣等感を持っていました。今となっては神戸にすぐに行けるようになり、距離が縮まっていますが、私が学生の時は交通網がまだ発達していなくて、神戸や大阪はすごく遠く感じました。都会は未知の感覚でしたね。


 また淡路島に何があるのかも全く知らなかったです。玉ねぎが有名であることを知らなかったですし、魚や野菜やお米がおいしいのも自分にとっては当たり前のことでした。なので淡路島は何もないところだと思っていました。



高校卒業後の進路について


 私は進路が決まっていない状態で高校を卒業しました。高校を卒業する年が就職氷河期で1人1社分も就職先がなかったということもありますが、主な要因は何をしたらよいのかわからなかった、自分がしたいことが何なのか全然見つからなかったからです。


 しかし特に進路について考えていたわけでもなく、卒業してからも働かなくてはいけないという実感がなかったです。実家にいたのでお金に困らず、ぬるま湯につかっていました。すると、親戚中で自分がプー太郎であることが騒ぎになり、親戚の一人が社員として働いていた淡路ハイウェイオアシスで一旦3ヶ月間アルバイトすることになりました。


 そこで人生の師匠となる当時の店長に出会いました。社会のことを何も知らなかった自分と向き合ってくださり、厳しく体当たりで指導してくださったおかげで、今の私がいると思っています。その熱い指導がアルバイト時代にとても響いて、店長とこれからも一緒に働きたいと思い、淡路ハイウェイオアシスで働いていくことを決意しました。また、周りの友達がそれぞれの進路で頑張っていたこともあって、自分も頑張ろうと思いました。



淡路ハイウェイオアシスがきっかけで淡路島が好きになる


 私は淡路ハイウェイオアシスの物産館で働くことになりました。物産館で働いていると、島外から来てくださるお客様のリアクションを見たり、お客様と会話をすることがあります。その際に、淡路島は玉ねぎが有名であることや、タイがおいしいこと、レタスがおいしいこと、様々なお土産があることに気づきました。


 また朝日や夕日、海が見える景色など私にとっては日常的なことが、実は特別な環境だったことにも気づきました。他のところにはないことが淡路島にはたくさんあると気づき、それがすごく魅力に感じました。学生時代に淡路島は何もないと思っていましたが、逆に何でもあるすごい島であると思うようになり、淡路島が好きになりました。


(写真は左から岩鼻さん、原田青果さん)


淡路ハイウェイオアシスで働くことについて

課長兼店長になられるまでの歩みについて


 18歳のときにアルバイトとして淡路ハイウェイオアシスで働くことになりました。働いていくことを決意してからは当時の店長から「社会人なんだから自立しろ」と言われ、親の扶養から外れるパートタイマーになりました。当時は淡路ハイウェイオアシスでは正社員募集を行っておらず、正社員になる選択肢はありませんでした。


 パートタイマーになってから必死になって働き、2年後の20歳のときに契約社員になりました。また、その2年後の22歳のときに周囲の人に現場での頑張りを認めてもらい、淡路ハイウェイオアシスでは数年ぶりの正社員となることができました。そして26歳のときには物産館の副店長となり、29歳で店長を任せてもらえることになりました。


 その後は、オアシスが飲食フロアに力を入れていくために店内のフードコートを改装するタイミングで、飲食フロアの立ち上げと運営をする部署へ配属となり、4年間飲食フロアの店長をしました。物産館の店長と飲食フロアの店長をどちらも経験したことにより、同じ1階に物産館・飲食・カフェと3つの部署が存在することに違和感を覚えました。そして3つの部署をまとめる店長となり、統合を図りました。その働きを評価していただき、現在の課長兼店長になることができました。



現在の仕事内容について


 課長としての仕事は数値管理、労務管理、人材育成、商品の仕入れ等があり、それにプラスで店長としての仕事があります。感覚としてはプロ野球の兼任監督、代打オレみたいなものです。


 淡路ハイウェイオアシスがオンリーワンな存在になることを目指しています。お客様の旅行のついでの目的地としてではなく、旅のプランの一つのコンテンツになりたいと考えています。遊園地のようなエンターテイメント性を追求し、旅の思い出を買うという体験ができる場所にしたいです。


 また、私はよく淡路島の農家さんや食品メーカーさん等とやり取りをし、コラボレーションをしています。その活動をインスタグラムなどのSNSで発信しています。なぜそのような活動をしているかを玉ねぎを例にとって説明します。


 今では淡路島の玉ねぎは普通にスーパーなどで買えます。スーパーに出荷されると、どんなにこだわったタマネギでも他の同じ淡路島産タマネギと評価されてしまいます。私はそれではもったいないと思うので、クセのあるこだわりの農作物をちゃんと評価して、地域で販売できるように努力しています。


 またその活動をインスタグラムで発信することで、自分のファンを作ることや同業者に火をつけることができると思います。そうすることで淡路島全体が盛り上がり、淡路島のファンが増え、その結果淡路ハイウェイオアシスへ来てくださるお客様が増えることを期待しています。



やりがいについて


 私の仕事は結果がすべてで、売上という数字に表れた結果を出したことがやりがいにつながります。結果を出して、メディアで取り上げられて反響がすごかったり、農家さんとコラボレーションしてうまくいった後に感謝の言葉を頂けるのが一番心にしみますね。



淡路ハイウェイオアシスの今後


 「淡路島旅行になくてはならないハイウェイオアシス」になりたいです。お土産屋という枠組みから飛び出し、遊びに来るアミューズメント施設のようになれたらと思います。



将来の理想と考える淡路島

 今までは淡路島が一致団結していくのが理想でかっこいいと思っていました。しかし、今では淡路島出身の人ばかりではなく、島外出身の人もたくさんいます。考え方や文化が違う人が無理に団結する必要もないかなと思うようになりました。


 足の引っ張り合いをするのではなく、お互いが自立し、良きライバルとしてこれからは戦って、お互いを輝かせ合う。いろんなものが共存し、良き競争を展開することで、それが淡路島を発展させるのではないかなと思います。


 そのためには淡路島を引っ張るカリスマリーダー的存在が必要になると思います。私は自分がやるべき道・進むべき道を一生懸命やっていき、まずは自分が輝きたいです。それが島の人の刺激になるはずなので。もっとそんな人が出てきても良いと思います。良き競争が活発な島になってほしいです。


(写真は左から森、初島、岩鼻さん)


これから社会に出ていく高校生の皆さんへ

 私はやる気と元気でここまでがんばってこれています。なので、特に将来のビジョンがなくても、目の前のことに一生懸命取り組んでいけば、道は開けると思います。


 例えば、目の前にアルバイトできる環境があるなら、それを楽しんで一生懸命取り組む。努力して楽しむ。やりがいを見つける。それらを積み重ねた先に、夢ややりたいことが見つかります。そうでなかったとしても今現在が一番楽しくなるはずです。困難を乗り越えた先の自分を想像して、成長した自分を考えみてください。悩みがあっても大丈夫だと言いたいです。

 

 また、アルバイトはしておいた方がいいと思います。これから社会に出ると、人付き合いや人間関係がつきまとうので、人と接する経験をしておいたほうがいいです。






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